モドル | モクジ



「あたしの、ため? ……この騒ぎが、全部?」
 少女は右足の痛みに耐えながら、必死に言葉を紡いだ。
 額の汗が、頬を伝う。この汗は、決して痛みのせいだけではないだろう。冷たい汗を感じながら、少女はじっと少年が口を開くのを待っていた。
 意志を汲み取ったのか、少年は頷くと、少女からは意識を外さず、窓の方を向いた。
「全て茶番だ。ハーネット家が暗殺村を配下にするという話も、そして暗殺村がハーネット家へ攻め込みにいくということも」
「なに……それ。なによ! どういうことなの!」
 少女は精一杯の声で叫んだが、それはあまり大きな声にならなかった。
「全ては君をハーネット家へ強制的に帰すための、暗殺村が仕組んだことだったんだ」
 少年は言う。全ては君のための騒動だ――と。
「君は、本当はハーネット家の人間なんだ。でも、君は幼い頃ある事件で行方不明になってしまった。そして、暗殺村が君を見つけ、彼らが引き取ったんだ」
 話し終えると、少年はカーテンの裾を掴んで、両側に引っ張った。大窓から少し欠けた月が部屋を覗きこむように現れる。もう少しで満月になる、不完全な円が夜を照らしていた。
 少女は、少年の口から次々と紡がれる事実の連続を、思う暇なく頭の中で処理しようと努めた。そうでもしないと、彼女が彼女ではなくなってしまうような気がした。
「きっと暗殺村の人は、君の幸せがハーネット家にあると思ったんだ。だから君を、この家に帰した」
「わけわかんない……じゃあレックスたちは? レックスはどこにいるの?」
「……レックスが誰かは知らないけどね。暗殺村の人たちなら、最初からこの屋敷には来てない」
「……うそよ……なんで、そんな回りくどいことを……」
「嘘じゃない」
 少年は、さながら研ぎ澄まされた刃の双眸で、彼女の言葉を貫いた。
「君がよく知っているだろう。暗殺村は他の者の介入を許さない。だから君をこの騒動に紛れさせて当主のところへ送らせたんだ」
「うそよ!」
 少女は喉が張り裂けんばかりに叫んだ。彼女が感じる悲哀を全て飛び散らせて、彼女は否定するように叫んだ。
 痛みが、彼女を蝕む。
 右足の痛みは相変わらず鋭く、彼女を少しだけ弱くして、心の痛みは彼女の瞳を潤ませた。
「だってあたしは暗殺村の人間よ! あたしは暗殺村でしか生きられないの! あたしのこの右足は、暗殺村の右足なの! 暗殺村があたしを捨てるはずがないわ!」
「君が暗殺村を必要としてるから、暗殺村も君を必要としてる? ははっ、笑わせるね。でも間違いないんだ。君はハーネット家の人間なんだから。他でもない僕がその話を聞いたんだからさぁ」
 少年が、少女を見下すように一瞥した。その視線を真っ向に受け止める少女の双眸。しかし彼女の双眸に映る世界は、彼女が意識する前に滲み始めていた。
「うるさい! いやよこんな別れ方! あたしはハーネット家なんか知らない! ここに入ったのはこれで最初で、これで最後よ! だってあたしが今から当主を殺すんだから!」
「いい加減にしろ――!」
 振り返らずに、少年は苛立った声で少女を制した。
 今まで冷淡な口調で話してきた彼の憤りが、直接少女の心を刺した。しかし彼はふと我に帰ると、静かに声を落とし、少し俯いた。
「あまり困らせないでくれないか? ……当主を殺したって何もならないよ。君は幸せじゃないか。暗殺者なんて、どうしようもない人間がなるものなんだ」
 ただでさえ低い声のトーンが、さらに落ちる。垣間見えた瞳は、酷薄な光を称えて鈍く光っていた。彼女を呪うかのような表情の中に、悲哀の色が微かに混じる。
「君を捨てるつもりなら、なぜ君をそこら辺の村へ放り投げなかったんだ。違うだろう。君が言っていることは。君は恵まれているんだ。僕の家は……みんなばらばらだった」
 心の底から煮えるような苛立ちを言葉の全てにこめて、彼は呪いの呪文を紡ぐように、ゆっくりと低い声で言葉を繋げていく。
「僕の家はみんな誰のことも気にかけてなくて、誰のことも考えてなかった。家族の誰とも関わりを持たず、みんな自分のことだけで精一杯だった。母は父の会社のお金を全て私欲に使い果たして、そのせいで借金にまみれて、僕はその中で……」
 その中で、少年は、ただ気を回すだけ無駄だということを覚えた。
 悲しい、孤独の暗殺者だった。
 ましてや数十人の家族に囲まれて、家族を慈しむ少女など、彼にとっては考えられなかった。両親は少年の何もかも奪い取り、その生活は少年の優しさを根こそぎ奪い取った。
「…………ごめん。やっぱり君は、ここにくるべきじゃなかったんだよ」
 少年は、少女に自分の過去を話してしまったということではなく、自分の喋りすぎの口に気分を悪くしたようだった。少年は、どこまでも孤独だった。
「なぜ君はここに来たんだ……。君の仕事は当主の暗殺だろう。さっさと当主のところへ行って、彼から真相を聞けばよかったんだ。そうしたら僕もこんなとばっちり受けなくて済んだのに」
 少年は言うと、少女を向き直った。
 複雑そうな顔に苛立ちと怒りが滲んでいて、それは少女へ漏れることなく向けられている。彼の視線は少女に向けられてこそいたが、彼女はそう感じなかった。彼女には、少年の視線が彼女の後ろの何かに向けられているような気がしてならなかった。
「元当主は、君の祖父にあたる方じゃないか。大事にしてやれよ。確かに暗殺村の人は君の家族かもしれない。だけどハーネット家の老当主も、君の家族には間違いないんだから」
 苦虫を噛み潰したような表情で、重々しくひとつひとつの言葉を喋る、少年。
 少女はなぜ彼が苦しそうに喋るのかが、ほんの少しだけ分かった気がした。そして、ほんの少しだけ分かったから、少しだけ落ち着くことが出来た。そうしたら、今すべき優先順位が少しだけ変わることを、彼女はなんとなく感じ取った。
 ようやく、少女はそこに帰着したのである。
 少女は右足の痛みに耐えながら、しかし意外にはっきりした口調で彼を問うた。
「……ねえ、あなたは誰」
  警報が、彼女の声を掻き消すように部屋中を暴れまわる。だが、少年には彼女の声が妙に鮮明なものに思えた。少年は、ふっと苦笑いを浮かべて、窓の縁に身を預けた。
「僕は、ただの暗殺者。この家の当主を暗殺しろって、当主の孫の方に依頼されてこの格好で潜入したわけだけど?」
「ちがうの。そうじゃなくて」
 少女は今さまざまなことを思い出していた。
 四年前、レックスと最初に出会った、秋の朝方。兄との初の任務のことや、遊んだり笑ったりしたこと、それらが物凄いスピードで頭の中を駆けていく。今でも、その記憶の輪郭ははっきりとしていて、おそらくは一生、忘れられないだろう。
 そして最後に、ろくな別れ方をしないまま、少女は兄を失った。
 兄は、最後に言った。暗殺村は、決して仲間を見捨てない。
「……あたしはアリサ。アリサ=ハーディ。あなたの名前は?」
 少女は、柔らかい口調で諭すように言葉を作っていった。
 その言葉は、少女の心となり少年の心を掠め取って、大窓の月へと流れていく。大窓の隙間から、一筋の弱い風が、吹き抜けて、少年と少女の髪をさらっていった。
 少年は、唇を引き締めて、何も言わずに少女を見据える。
 警報が、鳴り止んだ。早急に訪れた静寂は、二人の間にするりと滑るように入ってきた。
 少女は、彼が次に発するだろう言葉を、じっと待っていた。
「……なんでかな」
 少年は、苦々しげに吐き捨てた。
「なんで、君は僕の目の前に立ってるんだ。僕は君なんか知らなくて良かった」
 言うと、ひとつため息をついて、しかしまた彼は変わらない眼光の鋭さで少女を睨みつけていた。
 少女は、何も返事はしなかった。
 しかし、表情にはある種の決意の表情が滲み出ていた。
 少女は支えられてきた。今まで暗殺村の庇護のもとに育ち、レックスに世話をかけた。思えば彼女は、暗殺村に救われて、生かされていた。守られていた。少なくとも少女は、この村にいる限りは生きる責任から逃れられることができたのだ。
 しかし、少女は、ただ守られていただけだった。そのことを彼女に教えたのは、これもまた彼女を突き放すように送った暗殺村だったのだ。
「……あたしは、家族が大好きだったわ。いや、今も同じなの」
 震える手に渾身の力を入れて、彼女は自らの体重を全て右手に預ける。訴えるように顔を上げた。立ち上がる気だ、と少年は咄嗟に銃を構えた。
 だが、引き金がひけない。力が入らない。たった少しの人差し指の力で、トリガーは引けるにもかかわらず。
「あたしは何度も家族に迷惑かけて、支えられたわ! 時にはケガさせたこともあった! あなたは知らないの? あたしの家族は、とても柔らかくて温かかったわ……」
 だから――。あたしはただ守られていただけだったから。彼女は彼を真っ向から見据え、切実に差し迫る黒い双眸で彼を捉えた。
「だから、あたしは、あなたを救いたいの」
 少女は右足の痛みを外に追いやり、流れ出る冷や汗を袖で拭う。
 少年は、窓から差し込む冷たい風を感じながら、返事もせずに押し黙っていた。
 言葉は少年の心を掠めた。ほんの少し少年の心に近づいただけだが、確実に心を掠めとった。
 彼は押し黙って少女を一瞥すると、後ろの窓に手をかけた。
 少年はゆっくりと、窓を押してゆく。
 金属同士が擦れる音と共に、開かれた窓から風が部屋中を吹き抜ける。部屋内にあった紙類や小物は風の前に成す術もなく飛ばされていき、少年はその中でただ月を見ていた。風が彼の茶髪を後ろへとさらっていったが、少年はただ口を固く引き結んで、不完全な円を見ていただけだった。
 何度見ても、この月は人の心を惹きつけてやまない。夜を彩り、空虚な心を飾る。
「不思議な縁だ」
 長い静寂に、やっと少年は口を開いた。視線を月に向けたまま、会った時さながらの穏やかな口調で、少年は言葉を紡いでいく。
「僕はエドウィン。それだけでも呼ぶのには苦労しないと思う」
 少年は、くるりと少女を向いた。
 風が通りすがりに少年の髪をなびかせ、少女の黒髪をくすぐって消え去ってゆく。
「ねえ、なんで君は、僕を救おうと思ったわけ?」
「……あたしはアリサ=ハーディだから。暗殺村のアリサは、仲間を決して見捨てない」
 少年は無表情に穏やかな光を放つ双眸で彼女を見て、「そう」とだけ口にした。
 少女は右足の鋭い痛みを意識しながら、無理に笑みを作った。
「でも、あたしはアリサ=ハーディである前に、アリサ=ハーネットでもあると思う」
「うん」
「だから、本当はここでお別れなの」
 少年は先ほどと変わらない微笑を浮かべて、頷いた。そして、複雑そうな顔を崩そうとしない少女に向けて、こちらも同じような表情をして彼は、遠い目で部屋内の白い壁を見ながら、少女に言う。
「僕に当主の暗殺を依頼してきた子は、君の弟にあたる。大事にしてやるといい。少し素直じゃないけどいい子だよ」
「……そう」
「当主との関係が上手く言ってないようだから、君が仲介人になってあげるといいよ」
「仕事は多そうね」
 少年は少女の様子に、おかしそうに顔を綻ばせた。そして、時計を見て、辺りを把握するように耳をすませた。すると微かに、辺りに喧騒が戻り始めてきていることが分かった。作戦の予定時間を終えて、ハーネット家の人たちが帰ってきたのだ。きっと、当主から聞かされている新しい家の住人を楽しみにしていることだろう。
「……もう時間ね」
 少女はぽつりと呟いた。その様子に、少年は苦笑いして、早い動作で窓の縁に足をかける。眼前に闇より深い深淵を確認して、思い出したように彼女を振り向いた。
「よければ、また会おう。今度は使用人にでも変装してくるさ」
「それは大変だわ。まともに使用人にも心を許せないわね」
 少年は笑って、一言「ごめん」と呟いた。彼にとっての、ありがとうの代わりの言葉。
 少女の反応を待つ前に、体を支えていた手を離し、足に込めていた力を解いた。きっと少女は、驚いていたことだろう。
 視界に焼きつく、大きな円を描いている、月。
 本当に、不思議な縁だ――。彼は思いを月に重ね、気がつけば先ほど自分がいた大窓を一瞬、見ていた。
 それから視界は回転し、黒い虚空を映しだした。
 気持ち悪い浮遊感。
 身体を包み込む、冷たい夜風。
 着地は、まだいい。少年はそっと瞼を閉じた。
 天気は、今日も晴れだった。月は、今日も身を潜めている。身を潜めて、雲間から地上を覗いていた。少しだけ欠けていた月は、都市や村を平等に照らす。微弱な光を少しだけ身にまとって、今日も彼らを見守っていた。

 ――月は、今夜満月になるのである。






■□あとがき・・・
 お疲れ様です。少し三話目は長かったですね。
 恋愛ではない、少女と少年の出会いが書きたくて書いた作品です。少年のことがよく分からなかったという人が多いと思います。少年は、育った環境のこともあって性格が悪いようにしようと思ったのですが、少年自身、本当は最後まで性格が悪くなりきれていない、ということで最後私の考えがまとまりました。
 では、本編だけでなく、あとがきまで読んでくれて、本当になんて言ったらいいのか……。私は嬉しさでいっぱいです。ありがとうございました。
 


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