MazE

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 七年前から一心不乱に探してきた。暗い夜道に光を探し求め、愛を与えてくれる人を捜し求め、一年で遂に見つけられずに、諦めた。
 せめて話してくれる人を捜し求めたのに、なぜ実際に話そうと思ったら何も言葉が出てこないのだろう。
 七年前のあそこに、人を切り刻む言葉以外を置いてきてしまった。
 混濁する思考の中、ただひたすらに答えを見つける。
 人と話したら、何も分からなくなった。


MazE4


 アキは黙って剣を下ろした彼に、何も言わずに微笑みかけた。
「さっきは驚いてごめんね。異種族の方だとは思わなかったの」
 呆然と立ち尽くしているフィルの手を取ると、優しく、彼の手から剣を外す。呆然と立つ青年は、曖昧に頷き、少し俯いた。
 そんな彼を見て、彼女は困ったような笑みを浮かべて、テーブルの上のスープを片付けた。
「あの、それ、ごめん……」
 冷め切ったスープを見やると、フィルはそう言って顔を背けた。しばらくしてから、気にしないでというような内容のソプラノの声が、彼を追った。
 小さく頷くと、沈黙した双方の間にそっと静寂がすべりこんだ。先ほどとはうって変わって、部屋内に一種の倦怠感が充満する。
 フィルは入り組んだ感情の前に、ただ立ち尽くした。何事も無かったかのように接するつもりか。そう思った先にあるのは、複雑な思考だった。彼が何を思っているのか、彼自身にも分からない。一体自分は嬉しいのか、悲しいのか、困っているのか。
 ただひとつ分かること。それは、この家は、青年には明るすぎること。
「アキ、さん。俺は、やっぱり――」
「ね、フィルさん。しばらくお酒なんか飲んでないんじゃないですか?」
 いいかけた青年を制すように、アキは栗色の瞳に悪戯めいた光をちらつかせながら、酒瓶を片手に持った。ふと我に帰り、顔を上げる。
「飲みましょう。今日が特別な日になるように」
 ね、と青年の肩に手をかけると、アキは有無を言わさず、フィルを椅子に座らせた。戸惑ったように視線を酒瓶に向ける彼を一瞥すると、悪戯めいた笑顔を収め、少し目を細めた。
 アキには、考えがあった。
 “乙女”が旅人をもてなす際に、酒というものは必要不可欠なものになる。酒は人を陽気にさせ、抑制を外すのに有効な手段の一つとなる。それは癒しを目的とする“乙女”の常套手段であり、この手を利用しない手は無い。
 アキが見る青年。心が傷つき、複雑で繊細な心を持ち、しかし揺るぎない鋼鉄の意志をもっている、孤独の旅人。彼は自分の運命を一身に背中で受け、前を見据えて、まだ歩いている。
 なぜまだ歩いているのだろう。 簡単だ。彼の何も譲らない強固な意志が、傷ついた心を認めず、自分の中から排除しているからだ。
 ならば、傷ついた心を認めさせ、はきださせてあげればよい。それが出来れば、それは初めて“乙女”の管轄内に入る。
 室内の賑やかな光の数々が、二人を穏やかに包み込んでいた。時計は光を反射しながら、刻々と時を刻む。アキはフィルの隣に座って、彼を眺めていた。
「……ねえ、フィルさん」
 彼は振り向かなかった。ただ、グラスの中の液体を一心に喉へ流し込んでいる。そんな感じだった。
「ねえ、つらい? 今まで、苦しかった?」
 先ほど聞けなかったことを、ストレートに問うてみる。彼女はまず、そのことを意識させることから始めようとした。歌うような柔らかな口調は、彼女独特のものだった。
 彼の口は、動かなかった。答えは返ってこない。彼女は首を傾げて、もう一度口を開いた。
「旅人さん、これからどうするの?」
「……分からない」
 ぽつりと簡素な返事が返ってきたかと思うと、彼はグラスをもう一度口に運ぶ。
 フィルターがかかったように霞んだ部分と、妙にはっきりした思考を感じていた。判断力が徐々に鈍ってきているのに気づかず、ただ彼の心を誘うまどろみに身を沈めたかった。
 早く、何も考えずに眠りたい。
 彼は、必死だった。
 いや、今までも、必死だった。
 痛みを訴える傷口と、孤独を嘆くもう一人の自分と戦いながら、暗色の双眸で世界を呪っていた。暗い路地を踏みしめ、ただ大地をのし歩く。いつまで続くか分からないこの路地を見据えて、思考を停止させる。
 周りを見回し、太陽が昇っている間に隠れられる場所を、一晩の内に探す。
 空を見上げ、暗雲の中に、ずっと明日を探し続けている。
 必死だった。彼は本当に、必死だった。
 だから、何かを考えている暇は無かった。平穏を探すことしか、彼に許された道しかなかった。
 ――だが、今、彼女が、“乙女”が隣にいる。
 体を休められるベッドがある。青年を照らすライトがある。天候から身を守る家がある。他でもない平穏がある。そう、他のことを考える時間が、あるのだ。
 今までの辛い思い出をせき止める必死という堤防が急に決壊し、鋭利な刃を持った記憶が、無防備な心に流れ込んで、溢れてくる。
 傷ついた心を必死に隠し通して、青年は暗がりでじっと押し黙っていた。
 アキは、眉を顰めて、もう一度口を開く。
「どこへ行くの?」
「……分からない」
「これから何をするの?」
「……分からない」
 心が宙に浮いているような覇気のない口調に、アキは微弱な苛立ちを覚えた。
「分からないって、どういうことなの?」
「……分からない!」
 青年は、空のグラスを叩きつけるように置いた。室内に大きな音が響き渡り、アキはびくっとして顔をフィルへ向けた。青年は強くグラスを握りしめて、碧と青の双眸で少し酒が底面に残っているグラスを、じっと睨みつける。
 ……忘れろ。
 七年前で止まった記憶が、頭をがんがんと叩きつけ、内容物をめちゃくちゃに荒らしながら暴れまわる。
 ……忘れろ! なぜ今ごろになって現れるんだ!
 “ひとり歩き”の名は、呪いの名だ。勝手に世界が付けた、異種族を表す“記号”。
 この世界にしか生きられない人間。だが異種族は、その生きるべき世界から排除された。他でもない異種族の裏切り者一人によって、異種族はどん底まで突き落とされた。
『あいつが世界に宣戦布告などしなければ、俺たちは迫害されやしなかった』
 記憶の中の中年の男が、そう叫んだ。碧と青の双眸に鋭い光を称えて、周囲の全員を睨んでいる。周囲を注意深く睨む男を、他の異種族は肯定的な目で見ていた。
 集団の内の一人が、頷き、高らかに声をあげた。
『殺せ。異種族を世界のどん底へ突き落としたあいつを、どこまでも探し出し、殺せ!』
 違う。異種族は、初めから社会に弾かれていた。
 今までも、青と碧の目をもつ異種族に、社会の目は冷たかった。
 愚かだ。それに気づかない振りを、いつまで続けようというのか。ついに一人へ責任をなすりつけ、自分達は心の平穏を得ようというのか。未来、異種族に降りかかる災難の全ての責任を一人の異種族へ押し付け、代わりに何を得られるというのだろう。
「違うんだ……。何も得られない。何も、変わらなかったじゃないか!」
 彼の声が壊れたスピーカーのように、一オクターブあがる。
 異種族は救いを求め、お互いを傷つけていった。
 そして、異種族同士の信頼さえ、世界の陰謀によって切り刻まれた。
「フィルさん、どうしたの! 何かあったら私に全部言っていいのよ?」
 アキは、掠れた声で一つ一つ吐き出すように発音するフィルの顔を覗き込んだ。その瞬間、彼女ははっとした。
 彼は、自分を守るように、限界までの力で両腕を掴んでいる。瞼をぎゅっと閉じて、しきりに何かを呟いていた。薄く開いた唇からは理解不能な言葉が羅列されている。
「フィルさん? どうしたの? フィルさん……フィルさん!」
 アキは、反射的に青年の両肩を揺すった。すぐに、青年が我を取り戻さないと危ないと思った。そして、そうしたら彼は元に戻ってくれると本能的に思っていた。
「どうしたの? 何かあったの? ねえ、戻って。元のフィルさんに戻って!」
「触るな!」
 青年は弾かれたように叫ぶと、操られたように椅子を蹴って立ち上がった。アキは、振り払われた手を呆然と見て、フィルへと視線を移す。
 彼の体は、理性を容易に打ち破った。
 脳内で、記憶が悲鳴をあげながら暴れまわる。
 心の中で、処理しきれない感情がほとばしる。
 彼の下のもう一人の青年が、色が違う二つの眼球から、血の涙を流している。暗がりに膝を抱えて座っている。前髪の隙間から暗色の双眸で、虚空を睨みつけている。
 ……俺は、何の為に生きてるんだ?
 その姿は、まだ子どもの頃の彼だった。血の涙を流す彼は、無表情で立っている青年に、そう問いかける。青年は間髪いれず、こう答えた。俺が殺した親友の為に。仮面のような顔で、そう言う。
 座っている少年は、高らかに笑った。
『うそつきだね』
 顔を上げて、低い声で言う。
『あんな“きちがい”、お前は何の気にも留めちゃいない』
 少年は、目を剥いて叫んだ。
『でないと、お前がラルを殺すわけがない!』
 引っ張られたように立っている青年の顔が、だんだん歪んでゆく。
 仕方なかった。そう繰り返し呟く青年は、視線を少年へと向けずに、自分の手のひらから離さなかった。顔を上げて、非難の視線と目を合わすのが怖かった。傷つくのが、恐ろしかった。
 もう、傷つきたくなかったのに。


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